大正5(1916)年築,木造2階建ての町家の1階にある喫茶店「カヤバ珈琲」は昭和13(1938)年の創業以来,谷中の人びとにとって、大切な場所であった。残念ながら店を守り続けてきたふたりのおばあさんが亡くなり、しばらく閉店していた。しかし、たいとう歴史都市研究会とSCAI THE BATH HOUSEの協力の下、谷中を新しい文化の発信地とするプロジェクトの一環として、再び喫茶店として再生することとなり、その改修設計を任された。この場所は長年積み重ねてきた人びとの思いからなる膨大なストーリーを内包して、既に熟成され、完成された空間となっていた。ただ、そのまま残してもノスタルジーに陥ってしまう。そこで、この空間の持つ特性を拡大解釈して見せることで、今の時代にあった別のストーリーがそこに浮かび上がってくるのではないかと考えた。感情的な部分から離れ、ただ空間特性だけを拾い上げようと固定観念を捨てて見つめ直した。印象に強く残ったのは、薄暗い室内と窓から見える通りの明るい風景という明暗のコントラスト。そこで、この光のイメージを増幅させていくことを考えた。天井に黒いガラスを張り、そこに窓外と室内の映像を映し込み垂直方向に空間を広げていく。店内に入った瞬間に見える奥の壁は光壁にし、窓外の照度と合わせ、水平に奥へと広がり外に抜けていくような感覚を与えた。賑やかな通りの往来、店内でくつろぐ人の様子が天井に反射して見える。この生き生きとした「今この瞬間」の映像越しに、過去から続く大正時代の梁が重なって見えてくる。ここで珈琲を飲みながら人は何かを夢想する、「今この瞬間」から、過去と未来に繋がる時間の糸が、始まりと終わりが分からないくらいに絡み合い、「カヤバ珈琲」という場ができ上がる。そんな、常に現在進行形の空間をつくるきっかけを与えることが「生きた保存」なのではないかと思う。